大自然を守ろう

          川辺川は生きている

           国土整備局にもの申す

                                                         河川研究家 

                                                         著 者   河 野 景 近

 はじめに

□『川は生きている』という本をなぜ発刊するのか‥‥‥‥

 昭和28年6月26日、熊本市の白川大水害(以下「28災」と称す)のとき、筆者は消防団員として災害復旧に携わった体験者であります。…その後、28災のとき最も被害が大きかった都心部の自治会連合会長の要職を受けた関係で〈白川災害をどうすれば無くすことができるか?。〉と取り組んだのが始まりである。だから白川改修のみならず他の河川にも興味をもったのであります。

 …従って、川辺川ダム建設計画を検証すると、国土交通省九州地方整備局(以下「国土整備局」と称す)は、白川改修と同じ様な手口を用いて事を進めていることを、川辺川流域の住民ならびに球磨川流域の住民へ知らせるために筆を取った次第です。

□川辺川ダム建設の是非論は「矛盾の法則」にあてはまる‥‥‥‥

 ダム建設の賛成者と反対者の論戦は、〈あぁ言うから、こう言う〉の平行線のままである。…この様な論戦を続けてている限りいつまでも解決に至ることは難しいものである。…何故ならば、「矛盾の法則」に照らし合わせると、「A側から見ればAが正しく、Bの方が間違っている。B側から見ればBが正しく、Aの方が間違っている。」と 、「矛盾の法則」にあるように、それが川辺川ダム賛否の両者にもそのまま当てはまります。

 …すなわち、〈ダム賛成者側から見れば賛成者が正しく、反対者側の方が間違っている。反対者側から見れば反対者が正しく、賛成者の方が間違っている〉となるのです。…でありますから、双方の主張を取り入れることは土台無理なことであります。

 …そして、現在の比較社会に於て、〈矛盾が存在することは事実である〉のを、目くじらを立てないで解決する方法は「弁証法」であります。

 …その「弁証法」とは、〈高地から見て、知ることによって得た知識で解決する〉ことであります。

 …よって、手始めに河川の大自然の法則、すなわち〈川の摂理を物理学・河川工学をふまえてより良い知識を得ることで、自ずと結論に至る〉と思い、先ずは「大自然の法則」から核心に入りたいと思います。

 

 

  大自然の法則とは!

 

□河川の役目は‥‥‥‥

 河川の役目は、海や湖湿地帯などの水分が太陽熱によって水蒸気となり、その水蒸気が自然の慣わしで雲となって陸地に降った雨水が、一部は林野の木を育てる為の保水や地下水となって、残水は低地を流れ求めて川となり落ち着く先は海に達するものであります。

 

□天井川とは?‥‥‥‥

 広辞苑によれば、「天井川(てんじょうがわ)は、河川の運搬した砂礫(しゃれき)が

堤防の間を埋めて、川底が周囲の平野面より一段高くなったもの」とあります。従って、〈天井川は人為的に造られたもの〉であります。

 

□すべての川は「天井川」ではなかった‥‥‥‥

 大雨により山岳部で崩壊した土砂は、雨水と混じって大水となって川へ流れ、その土砂が流域の川底に積もり、そのとき前回のとき積もっていた土砂は下流に押し流され、その跡に新たに川上からきた土砂が積もり、その土砂は次回の大水のときにトコロテン式のごとく順次下流に押し流されて最終的に海へ押し流されるのが自然摂理である。…しかし、それらの土砂がすべて海へ流れるのではなく徐々に川底を高くするのであります。 

 

□天井川のはじまり‥‥‥‥‥

 …大昔、人類は飲み水を求め川の周辺の小高い処に住居を構えていたが、文明が進むに従って集落という村ができ、大雨ともなれば川の氾濫で集落に被害をもたらすので、自らの集落を水害から守る為の手段として堤防なるものを設ける知恵が生じたのであります。 …それが大水毎に川底が土砂で埋まれば、また堤防の嵩上げをしていたが、年々歳々大水で川底が埋まればその度毎に堤防の嵩上げを繰り返す内に「天井川」と称する人為的な川が生まれたのであります。

 

□当局の川辺川ダム計画と白川改修計画との手順は同じである‥‥‥‥

 …この度、人吉市の岐部明廣氏から贈られた『川辺川の詩』という著書を拝読いたしました。如何に国土整備局は地域住民の意見を無視しているのか。…白川改修の「川幅拡幅ありき」と、「川辺川ダム建設ありき」とはまったく同じ様な手口で進めていると痛感いたした次第であります。

 …その様な国土整備局の自我構造によるダム建設をシャットアウトに持ち込むにはため

には、先ず〈河川とはどの様な役目を担っているのか?〉の初歩的な川の摂理を分かりやすく物理的に解明の上で、順次『川は生きている』の核心にふれたいと思います。

 

 

  20世紀は自然を殺す時代であった

 

□国土整備局は川の破壊者である‥‥‥‥

 20世紀は、世界中で自然を生かすことを忘れ、自然を破壊することに専念した時代でありました。

 …その中にあって我が国は、一党支配を続ける権力の政官財の癒着・腐敗中心の構造により。山を殺し、森を殺し、川を殺し、そして海まで殺して、「ダムありき」「川幅拡幅ありき」が位置づけられ、川の生態系全体の浄化する能力が失われ、幾千年いやその以前つちかわれた〈日本中の美しい緑の山と渓谷に囲われた清流と川と海という一連の生命体が殺された20世紀でありました。

 

□21世紀は「開発天国世紀」になる恐れが迫っている‥‥‥‥

 …国土交通省の担当官僚が〈現場をふまえていない人びとで占められ、机上の考え方で、旧軍隊の如く「上意下達」で前線の部下の意見に耳を傾けずにますます暴走し、二一世紀は構造改革どころか、政官財の癒着による「開発天国世紀」になる危機が迫っているのである。…今この現況を日本国民全員へ知らせる次第であります。

 

□明治初期まで「お溜め池」が利水の役割を果たしていた‥‥‥‥

 江戸時代は、「お溜め池」があってもダムはなかった。…その歴史は〈わが国へ稲作が大陸から伝わってきたのは数千年前である。…それまで日本人は川を恐れ、川を怒らせないようにと川沿い近くには住まずに、洪水がいつ起こってもよいような安全な小高い丘に住居を構えていたものです。

 …しかし、稲作をするようになって水が必要となり〈弘法大師は稲水を確保するために各地に「お溜め池」を造らせた〉と、昔から讃岐(香川県)を本拠して平時は百姓をしていた河野一族の子孫である祖父から筆者はよく聞かされていました。

 …そのように、江戸時代の末期まではかなり高い水準の農耕政策がとられていました。それが一変したのは、明治初期からで、時の政府は〈欧米の河川政策を取り入れ〉中央集権を基にした管理システムを確立したのであります。

 …そのような管理システムが禍いして100年余りの間に、昔から日本全土の隅から隅まであった各々の集落に相応しい〈水害対策と環境をふまえた利水の知恵〉が完全に失われたのであります。

 

□ダムの維持管理費は未来永劫に必要とするものである‥‥‥‥

 現存の一級河川で〈高さ15メートル以上のダムは250カ所余りあり、いま建設中と計画中のダムは500カ所余り〉といわれ、ダムがない川は北海道の釧路川だけである。

 …それら既存のダムと、現在進めている川辺川ダムをはじめ、全国で計画中のダムの建設費は膨大な投資額である。…それにもまして、その維持管理費はダムが存在する限り年々歳々永劫に必要とするものであります。

 …例えば、本県において国体が開催されたおりに、「箱もの」と称する施設物(体育館等)が県内各地に造られましたが、計画にあたって〈維持費管理費の収支を念頭に入れないで造った〉ゆえ、国体が終わってからその「箱もの」を、他に活用しようとしても収支が全く合わずにいるのであります。…それと同じで、治水ダムの行く先も「箱もの」と同様の運命をたどっていることを国土整備局は気づいていないのであります。

 

 

 電力ダムの歴史について

 

□日本の電力ダムは明治初めに生れた‥‥‥‥‥

 電力ダムの歴史はそんなに古くではない。第二次世界大戦以前の電力供給は、火力発電(石炭・石油・ガス)か水力発電しかなかったのである。それを日本領土の25倍の広さを有するアメリカの巨大ダム計画。すなわち、テネシー渓谷開発公社の思想である「ダムを造れば電力が生まれ、電力が生まれば産業が生まれ、産業が生まれば人が集まり、町が誕生して幸せが永遠に拡大する」という、日本には適してない間違った思想を国土整備局は今なお受け継いでいるのであります。

 …また、戦災復興の高度成長期は〈水は飲料水と工業用水に米増産のための利水対策が加わり、電力供給ダムそのものが経済の活性化の歯車になる〉と、早合点した国土整備局は〈幾百年と治山治水のためにあった源流の「お溜め山」という山林による水溜が、当局の誤策により、杉・檜などの大造林を伐採し、丸裸の「禿げ山」にしたのが原因で水害に拍車をかけている。〉という現実を、国土整備局は都合が悪いから語ろうとはしない。

 

□国土整備局はアメリカの物まねする亡国推進者になるな‥‥‥‥

 明治の政治家は実に偉かった。…外国の物まねをせずに日清、日露戦争で勝利をあげ、急速に成長し、第一次世界大戦にはバブルが生じて、そのバブルがはじけて金融大恐慌が起ったとき、日本政府は欧米列強の帝国主義の「物まね」をして急場を凌いだのである。 …その後、その反動で列国の迫害に合って窮地に陥ったとき、どん底から這い上がる為ならどんなことでもする欧米の「物まね」をして、戦争の道をひた走りに走り、明治時代に築き上げた日本の文化国家を亡ぼしてしまったのである。…「歴史は繰り返す」と言われている。…いま小泉内閣は混迷の中にあるが、困ったことにアメリカの経済政策を鵜呑みして「物まね」をし、平和で且つ文化国家の日本を亡ぼそうとしているのであります。それと同様に、国土整備局はここ数十年間、先述のようにアメリカの〈テネシー渓谷公社の思想〉の「物まね」を未だに受け続け、川を殺しているのであります。

 

 

 治山・治水対策が水害を無くす

 

□治山対策が治水ダムの役目を果たす‥‥‥‥

 …ちなみに、国土整備局は〈治山においては上流の山が針葉樹ばかり植えるから保水力が落ち、ちょつとした大雨でも水がどっと一気に下流に流れる状態〉を繰り返している。…このように日本全土の自然生態系が壊れているのだから国土整備局は欧米の「物まね」を直ちに見直しをすべきであります。

 …また、土石流災害(崖くずれ)ついては、九州整備局は管轄の営林局と協議のうえ、植栽するときは、落葉樹、闊葉樹がいかに生態系の中で根幹を占めているか、椎の木1本で1 の保水力があるのを見落としてはならない。…昔は川の上流に「お溜め山」といって、保水のいう溜め水がダムの役割を果たしていたのであるから、国土整備局はこの問題点を大いに検証して〈禿げ山を無くし、植林には間伐を施し、土石流災害を無し、水害を無くす「一鳥二石」の手法〉を取り入れるべきであります。

 

□漁業権は諸刃のようなもの‥‥‥‥

 戦後、政府は漁民に対し「漁業権」というものを与えました。…その漁民に権利を与えたことによって、〈川魚師と話さえつければダムを造ることができる〉というシステムが出来上がったのであります。

 …急激な重科学工業の発達により電力が不足して発電用の水力ダムが必要となり、国土整備局は率先して、一級河川の殆どに多目的ダム(電力・治水・利水)を大量に建設しました。…その結果、緑川ダムで見られる様に、恐ろしいことに〈渇水時には水が腐れ、その腐れ水が放水で川が汚れ、海が汚れ、漁民は漁業だけでは生活が成り立たなくなった〉のであります。…であるからと、漁民らは国土整備局が計画した〈多目的ダム建設に対抗するだけの知恵を持たないから川を売り渡すことになる〉のであります。

 また、〈利水については、1973年の減反政策によって農業用水が大幅に低下した時に見直すべきであった。…国土整備局は〈高度成長の右肩上がりが尚続くと判断していたが、それを下方修正に改めたのが1999年6月である。〉時すでに遅しであります。

 

□ダムによる被害は河川のみではなく自然形態を殺す‥‥‥‥

 九州整備局の河川政策で〈各地のダムや川は土砂で埋まり、海まで届かなかった海岸の砂浜が消えうせて、それらの干潟を産卵場や保育場としていた魚介類が激変する〉という事態は、ここ数十年の間、九州のみならず全国各地で急激に増えていることは明白な事実である。従って、ダムを造ってマイナスばかりで、プラスは何も無いのであります。

…そのような事実を国土整備局の幹部官僚は反省するどころが、政治家や業者と癒着し、今なお詭弁をろうして「治水ダムありき」や「川幅拡幅ありき」で暴走しているのであります。…また、困ったことに諸般の事情により〈どの政治家もこの巨大官庁の暴走を止められない〉のでが現実であります。…それを止めるさせる手段は、われわれが〈国土整備局の盲点を調べ上げ、それを最大の武器にして改めさせるべきであります。〉

 

 

 川辺川と白川との類似点は!

 

□川辺川下流の球磨川人吉地区と白川黒髪地区‥‥‥‥

 国土整備局はダム建設を目的としているから都合がわるいことは隠している?

 国土整備局の想定では、球磨川(人吉地点)の流量が、毎秒7400 に対しても耐え るとと言っているのだが、1995年7月、80年に一度という記録的な豪雨では、球 磨川(人吉地点)のピーク流量が3900 と、国土整備局の想定を大きく下回った〉 のを国土整備局は都合が悪いので事実を隠して公開を避けている。

 平成2年7月2日の阿蘇地方の豪雨(272災)では、白川右岸黒髪地点の〈白川のピ ーク流量が、昭和二八年六月二六日(28災)の流量を大きく上回った〉のを国土整備 局は〈この事実を記録から抹消して〉都合が悪いから公開を避けている。

 ※国土整備局は、この双方の何れの事実をも認めれば、「川辺川ダムありき」や「白川  拡幅ありき」の計画そのものを根本から見直しの必要性が生ずるのであります。

 

□国土整備局は河川対策をなぜ住民のせいにするのか‥‥‥‥

  国土整備局は、前もって「川辺川ダムありき」のシナリオを作成して、川辺川ダムの  必要性の説明会を開き、そのシナリオを学者先生に代弁させ、一方的に会場に集まっ  た地域住民があたかも賛成した如く本省へ報告して予算を獲得しているのである。

  国土整備局は、前もって「白川の川幅拡幅ありき」のシナリオを作成して、白川流域  に全く関係のない学者や知名人を指名して「白川流域住民委員会」なるものを造り、  その委員会の委員を地域住民の代表のように仕立て上げて、地元住民や自治会や各種  団体の承諾を得ないで、地元民があたかも賛成した如く本省へ報告して予算を獲得し  ているのである。

 ※国土整備局は、川辺川・白川の説明会ともに、前もってシナリオ〉を作成しているの  が類似点である。…また、川辺川の利水ダムの控訴では、関係人の〈3分の1の同意  を得ていない〉から国側が敗訴しているのに対し、白川拡幅計画は〈3分の1どころ  か一%の同意をも得ていない〉のであります。

 

 治水ダム不要論

 

□障害物の治水ダムは無用の長物になっている‥‥‥‥

 河川の摂理としての役目は先述しているとおり、陸地、とくに山岳地帯に降った雨は、林野を育てる保水や地下水となり、残りの水は低地を求めながら川にそそぎ、落ち着く先は海へ達するのでありますから、治水ダムのような障害物は一切なくした方が洪水を防ぐ河川工学の基本的理念であります。(四頁参照)

 もともと明治以前は、日本には「お溜め池」があっても治水ダムは無かったのである。

…それをこともあろうに、日本より25倍の広さがあるアメリカ大陸の河川工学を、環境が全く違う「島国の日本」に適用しようとすること事態間違った考えである。

 …何故ならば、アメリカの河川学者が「島国の日本の川は、欧米大陸とは違って滝のようだ」と言っているのである。

 

□河川の流れを人体に例えれば‥‥‥‥

 口から入ってきた食物は人体を維持する栄養以外は速やかに外部へ放出した方が健康上に良いものである。…雨水にしても、幸いにして日本の川は滝のように水流が早く、川の長さが短いのを、わざわざ大きな胃袋(ダム)を造る必要性はないのである。

 また、浚渫そのものは自然の摂理に反するのではない。…どんなに短い腸であってもたえず掃除が必要であります。…でありますから、異物(泥水による残土)は手術を施して取り除く(浚渫)必要があります。

 

□水力発電ダムの必要性は?‥‥‥‥

 先述のとおりダムの起源は発電用ダムであります。…従って、火力発電の熱源としては、石炭・石油・ガスが必要であり、片や水力発電はダムの水が必要であります。

 …双方とも設備さえすれば、川の水はただ同然という経済性から、水力ダムは一級河川だけでも全国に二五〇カ所も造られているのであります。

 また、佐賀県の玄海原子力発電所は昭和50年10月に1号機を設けられ、現在は4号機まである。…その後、鹿児島の川内原子力発電所に2機設けられ、双方の電力量は九州圏内の約半分近く占められており、後は水力発電と火力発電と若干の地熱発電で補っているのであります。したがって、いま直ちに電力が不足するのではありません。               

□九州電力という会社は公共性があっても営利会社である‥‥‥‥

 当初、川辺川ダムは「多目的ダム」と言われていたので、筆者はてっきり〈川辺川ダム計画には九州電力が介入している〉と思い調べたら驚くなかれ「いつ出来るか?、出来ないか?、分からないから当初から全く関与していない」とのことであった。

 …であるから〈川辺川ダムに発電設備を設けたとしても、その電力を九州電力が幾らで買うのか?〉が不明のままである。…且つ又、買い手の九州電力は営利会社であるから、〈他所の電力を買うより、自社の原子力発電や火力発電の電力を優先する〉という。

 …そのようなわけで、川辺川ダムが計画された当初より世情が変り、電力供給するダムの必要性が無くなったのであります。

 …だからと筆者は、〈水力発電設備そのものを否定してはいません。〉私はかって海軍九州監督官付として海軍専属工場の日本窒素水俣工場で終戦を迎えました。

 …その終戦日の1カ月前に、工場が米軍の艦上機で壊滅的な打撃を受けたとき、会社側から監督官側へ〈工場を大分県の山奥へ疎開するため水力ダムを造る〉と申し入れがあった。…そのとき、筆者は化学工場には膨大な電量を要すの事を知りました。…幸い翌月の15日に終戦を迎え中止になったが、その後、戦災復興の電力不足を補うため建設省で引き続き計画されたのが、世間を騒がした「下筌ダム」であると後日知ったのであります。

 

□川辺川ダムが計画された当初は水力ダムが必要だった‥‥‥‥

 川辺川ダムが計画された昭和43年、発電・洪水調整・灌漑(利水)の多目的ダムが計画された当時は、高度成長で電力が不足していた時代であった。そこで、全国の電力会社は欧米に見習って原子力発電所の計画をしたものの、巷では「危険な原子力発電所は絶対反対」の運動が繰り広がっていたのである。

 …であるから、九州電力は自社発電所があっても他所の電力を必要としていたのであります。それが昭和50年10月になってから、玄海原子力発電所に四機を設けられ、引きつづき鹿児島の川内に原子力発電所が二機設けられので、故障が無いかぎり電力量は極端に不足することは無くなったのである。…たとえ夏場に冷房用が不足するにしても、それは昼間だけであるから、需要者に節電を呼びかけている程度で事足りているのであります。…その様に、川辺川ダムが計画された当初から見れば様変わりしている現実を、九州整備局は何故「ダムありき」を強行しようとするのか?。それは読者の判断に委ねることにいたします。

 

 

 観点を変えて考える

 

□以上を整理すればダムの必要性はない‥‥‥‥

 電力専用のダムは、川辺川ダムが計画された当初より、世情が様変わりました故、ダム はいらない時代となりした。(一〇頁参照)

 川辺川ダムの治水専用ダムは不要である要因は、1995年7月に発生した、80年に 一度という豪雨において、国土整備局の想定より大きく下回っているのでありますから、 川辺川にはダムが要らないことになります。

 利水専用ダムについては、〈利水ダムを造るか?、造らないか?〉は、観点を変えるべ きであります。…何故ならば、農耕用の水供給のために、わざわざ膨大な費用をかけな いで、利水には他の方法があるからであります。

 

□以上を整理すれば利水ダムが必要か否かの一つに絞られる‥‥‥‥

   電力供給専用ダムはいらない。

   治水専用ダムはいらなくなった。

    と を勘案すれば、後はダムは農耕用の利水だけの問題となる。

   現在、利水の賛否、即ち〈農耕用水は必要だ。いや不必要だ。〉と、賛否の論戦が  真っ二つ分かれているのを一つに纏めるのは「矛盾」であるので、土台無理なことで  至難の技であります。

 

 

□それでは利水をどの様にすれば良いか‥‥‥‥

 一先ず、農耕用水は必要とする農家側の主張を認めるとして、

 地下水を利用した場合の設備費と事後の維持管理費が幾ら要するかを目論む。

 上流からの水路による場合の設備費と事後の管理費が幾ら要するかを目論む。

 …そして、 と の双方の目論を比較して、ポンプで地下水を使用した方がよいか?、 水路を使った方がよいか?、を選択すればよいのであります。

※ の地下水利用か、 の「お溜め池」からの水路か?、何れにしてをも〈ダム建設費よ り経済的である〉のは明白であります。

 

□地下水を使用している例を上げれば‥‥‥‥‥

 「植木西瓜」といえば全国的に有名な産地である。その植木町の「山田青果卸市場」が私の妻の里である。…植木台地は熊本城の天守閣前と同じ高さであるという。…その様な高地であるので結婚当時は、水道はなく深井戸で水汲みが大変な土地であった。

 筆者は昭和29年に、ビニールパイプ販売を主とした「富士商会」という会社を友人と共に設立。…その仕事の始めにビニール管を大量に仕入れ、熊本市の水道局へ売り込み一儲けをたくらんだが、衛生局の許可が下りなかったので、急遽、河内の蜜柑は山の麓で栽培していたのを、河内川から水を引けば高地でも栽培が出来るといって、在庫を一掃したのである。…それを見た植木台地の農家が、それまで西瓜は〈西里西瓜か龍田西瓜であった〉のを、双方の利点を取り入れ、名産「植木西瓜」が生れたのであります。ちなみに、その設備と維持費は誰が負担するのかは、農家各自の負担であるという。…でも、設備を投資しても採算があうという。よって、「植木西瓜」、「河内みかん」、そして「天水みかん」と全国にその名を轟かす名産となったのであります。…川辺川ダムに於ても〈ダムが出来ない時はどのようにするか?〉と、他の方法を検討することは、あながち無駄ではないと思います。

 

 

 解決の私案

 

□ダム建設推進者の工事請負業者の懸念解消‥‥‥‥

 ダム建設が中止となれば、それを〈当てにしている〉工事請負業者は、それこそ〈当てが外れる〉ことになる。しかし、〈捨てる神があれば、助ける神もある〉もので、平成九年の河川法改正により、〈従来の河川は「治水」と「利水」を主たる目的として進めていたのを「河川環境の整備と保全」が付け加えられました。

 その趣旨は、河川の望ましい姿として、〈 安全で親しみやすい川づくり。   多様な動植物が生息・生育する川づくり。    上流から河口まで、流域が一本でつながる川づくり。〉の三つが掲げられました。…従って、ダム建設を当て込んでいた工事請負業者は、その方面の仕事が新しく発生するのであります。

 また、仮に〈川辺川ダムを造るとしても、膨大な建設費とそれに伴う経費を要するのであるから、それを〈河川環境の整備と保全〉に使えば業者が潤うことになります。

 

□ダム推進のため使った費用は無駄にはならない‥‥‥‥

 ダム推進者の中には「今まで使った費用が無駄になるから、早急に着工すべきだ!」と言っているが、決して無駄にはならないのであります。

 例えば、筆者の事務所に隣接する鶴屋百貨店で球磨地方の物産展があった。…そのとき、山菜の乾草品の販売員に、川辺川ダムで水没する部落民の初老の婦人がいましたが、その彼女が、〈ダム推進を反対したら、今まで国から貰っていた補償金全部を戻さねばならない。そのお金は新しい代え地に家を新築したので戻す金がない。…だから、賛成と言っている〉とのことであった。

 これを彼女に代わって要約すれば、〈移転補償金を戻さないでよいならば、ダムを造らず、今までのように自然を残した方がよい。〉というのが本音であります。

 

□川辺川ダムを企画した当時とは様変わりしている‥‥‥‥

 川辺川ダムを企画した当時は諸般の状況は確かに電力供給のダムが必要であったことは認めても、それが現在は諸般の状況で様変わりしている。…それを〈今まで使った費用が無駄になる〉と言うことは、…例えば、58年前に戦争を避ける為、栗栖大使が日米交渉にあたっていたが、らちが明かないので特命で野村全権大使を送り込み、改めて日米交渉に赴いたが、アメリカ側から〈日本軍を大陸から全軍引き揚げさせよとの条件〉が示された折、日本側は〈満州事変の当時と状況が様変わりしている〉ことに気づかず〈今までの犠牲を思えばとても許し難い〉と、戦争に突っ走ってしまった。…その結果はそれまでの数倍の犠牲を払う結果となってしまったのであります。

 …これと同じで〈「犠牲」と「投資」を置き換えると、計画当初より状況が様変わりしたのであるから、国土整備局の先任者に計画変更したら責任とれ〉というのは酷であり、且つ又、現職の担当官の責任でもないから、様変わりに合った河川計画の立案を願うものであります。

 

 

 大自然の環境をそのまま子孫へ!

 

□大自然をそのままにしても悔いはない‥‥‥‥

 「川辺川にダムができても流域や海の生物には影響はない?」という人がいるが、それに対し結果がでないとわからないことである。…それよりも「それではダムを造れば生物や自然環境が喜ぶというのか」と反論したくなる。

 先述のとおり、〈昔はダムは無かったが、それでも人間に限らず動植物は自然の営みの調和がとれていた〉のである。…それが〈文化より文明の方が先行して自然を破壊しているのは、河川ばかりではなく空気の汚染による温暖化問題もしかりであります。〉

 

□川辺川一帯は流域住民だけのものではない‥‥‥‥

 近代人の消費動向は、第二次大戦後、必需品時代から必要品時代↓必備品時代↓必携品時代↓必慾品時代、そして必遊と必誘時代へと様変わりしました。

 「五木の子守歌」で全国で知られている渓谷の部落が水没すれば、未来永劫に取り返しがつかない事であり、子孫に悔いを残すことを避けるべきという思いは、地元の人びとは勿論のこと、全国の文化人の切ない思いであります。

 

□川辺川渓谷を世界の文化資産の観光地に…………

 筆者は、県都熊本市の都心部の城東校区自治会連合会の会長を28年間いたしております。その会則の事業目的の一節に「…熊本県都心部の自治会として、市民、県民のみならず校区内を訪れる人々のために『明るく、住み良い、優しい町づくり』を目的とする」とうたっいます。…私どもの校区内には日本三大名城の「熊本城」があります。…片や、川辺川には、日本随一の文化遺産である〈五木子守歌で名高い景勝地〉があります。

 その様な事で、必遊と必誘時代へと様変わりした時代に相応しい〈自然景勝地の川辺川渓谷と全国でも珍しい美味の尺鮎の宝川であります。

 したがって、〈川辺川渓谷は、世界に希なる大阿蘇、「西南の役」で名高い「熊本城」と共に手を携えて、くまも三大観光地をめざし、日本人のみならず外国の人びとが訪れる〉よう全力投球を致しましょう。…よって、川辺川を文化(心)より、文明(物欲)を優先して破壊というよりは殺してしまうことは断じて避けねばならないと思います。

 

 

 あとがき

 筆者は、熊本県都心部の校区自治会の会長として、熊本市のど真ん中を流れる〈白川はどうあるべきか?〉を研究して早や58年になります。

 …したがって、〈各種ボランティアーの一環である河川対策については、国土交通省の河川担当官より多くの体験・知識を有しついると自負いたしております。

 特に、白川の洪水を防ぎ、〈 安全で親しみやすい川づくり。 多様な動植物が生息・生育する川づくり。 上流から河口まで、流域が一本でつながる川づくり。〉を進めるため日夜努力致しております。

 …その中で、坪井川清流会(会長・松岡進吾氏)の事務局長をいたしておりますゆえ、毎年、熊本城の内堀を兼ねている「坪井川」の清掃をいたし、錦鯉の放流ともに、全国で名高い民謡の〈五木の子守歌〉と同様、「あんたがたどこさ、船場さ、船場川にはエビさがおってさ…」の手長エビの育成を行なっています。何故そのような活動をするのかは、川辺川漁民の皆さんにはご理解できると思います。(船場川とは坪井川のことです)

                                                                           了