人並み以下の生活は仕事でおぎないました。

人並み以下の学歴は学力でおぎないました。

人並み以下の風貌は心情でおぎないました。

人並み以下の財物は信用でおぎないました。

人並み以下の信用は誠実でおぎないました。

人並み以下の知名は努力でおぎないました。

人並ほ以下の体力は頭脳でおぎないました。

人並み以下の知能は読力でおぎないました。

人並み以下の対話は筆力でおぎないました。

人並み以下の孤独は友情でおぎないました。


性質と性格とはその意味合いが異なります。

性質は生れながらの素質であります。だから

その性質は変えることが出来ないものです。


金はその素質を生かして貴金属になります。

鉄はその素質を生かして建造物となります。

鉄がメッキをして貴金属に化けてみても、

メッキが剥げて偽物であることは

何ればれるものです。

だから、

鉄に生れたからと悲観することはありません。

鉄でなければならないことが多くあります。

己の魂を他人に預けて磨くことは出来ません。

自分自身で磨くしか他に手立てはないものです。


己の〈技術〉は他人から教わることが出来ますが、

その〈技術〉を繰り返して〈熟練者〉となります。

だから〈熟練〉は他人に依存することは出来ません。

己の身に付けた〈熟練〉を更に繰り返すことにより

何れ〈達人〉と言われる人になります。


己の魂も善いことを身に付けたら

その行為を繰り返すことをつづければ、

何れ〈偉人〉と言われる人になります。


何ごとも〈日本一〉になるのは難しいことですが、

勉学力の〈日本一〉学生には今すぐにでもなれます。

学生の本分は採点より〈勉学力〉です。

その〈勉学力〉とは〈記憶力〉を指しています。

しかし、実社会においては〈記憶力〉より

〈思考力〉のほうを必要としています。


知名人が必ずも〈一流人〉とは言えません。

〈無名人〉であってもよい、

〈一流人〉になるべし。

〈一流人〉というのは

世界中何処にでも通用する人を指しているものです。

地獄に向かって歩いている者は、

なぜ自分が地獄の道を歩いているのか

気づいていないものです。

いま歩いているのが地獄の道であると

気づけば極楽の道へ変えることが出来るのに。


ユーモアを解せないで理屈を言う人は、

この世に極楽があることを知らない人です。

誰に接しても常にユーモアで笑いを誘う人は

極楽へ導く勧誘員です。

誰れ彼れと会う人ごとに不愉快を与える人は

地獄へ導く勧誘員です。

己が他人よりどんなに劣っていても、

それに気づいていれば恥ではありません。

己が昨日よりも劣っていることが恥じです。

己の未熟に気づかずに、

他人の未熟ばかりが気になるときは

己が自惚れているときであります。


略式を行なうことは、

本式を会得した人のみの特権であります。

たとえば、

建築も本式を会得しないで略式をすれば、

手抜き工事となり未熟がばれることになります。

人生を一メートルの〈物差し〉に例えれば、

その〈物指し〉の長さの中心は、

両端から五〇センチの所ではありません。

両端から各々四九センチのところを

中心と定めたほうが好ましいものです。


永い人世においてどんなハプニングが

いつ起るかもしれません。

そのとき二センチの余裕があれば、

強い衝撃があっても弥次郎兵衛の如く

両端の重みでバランスがとれて

少々のショックでも耐えることができます。

受講中メモに熱中すればその主旨がわからなくなる。

上手な受講のうけ方はメモすることに熱中しないで、

頭に閃いたことを忘れない程度に

ポイントだけメモして覚えればよいのです。

学者になるのであれば

〈誰が、いつ、何処で〉を覚る必要がありますが、

経営者だから〈誰が、いつ何処で〉は必要性がなく

「何を、どのくらい、どのようにしたら、

どのような結果になったか」を覚えるとよい。


必要性が生じたときとっさに、頭に閃く

潜在意識を得るためにメモをすればよい。

初老になっても貧困なる者は才覚が無い人です。

そのような人は会議で他人の意見を抑えて、

〈偉らそう〉に発言する資格がないのです。

もともと才覚があれば初老になる前に

〈偉い人〉になっている筈であります。


宗教家が過ちを犯したといっても

それは医者の不養生に等しいものです。

一医者が病気をしたからと、

その医者の医学までを批判してはならないように、

一宗教家が過ちを犯したからと、

その宗教の教えまでを批判してはならないものです。

何んでも自分で蒔いた種は自分で刈るべし。

他人に刈らせればその実は他人のものとなります。


自信のない発言は嘘のはじまりであります。

自信がない行動は失敗のはじまりであります。


他人から〈立派な人だ〉と思われるためには、

己のした〈立派なこと〉を自分の力量ではなく、

他人様の力量とすれば「立派な人だ」と言われます。


謙遜さは、誇りがあればこそできるものです。

誇りなき謙遜さは胡麻すり族に過ぎないのです。

己を磨くことは〈最高の芸術〉であります。


希望という夢は己の心の中にあります。

その希望を潰すのも己の心の中にあります。

              

〈頭が悪い〉のは決して〈恥〉ではありません。

己が昨日より劣っていることが〈恥〉です。

己は〈頭が良い〉と自惚れていることが

最大の〈恥〉であります。


〈恥〉は己自身の魂に存在するものですから

「聞くことは一時の〈恥〉」と思えばよいのです。